2017年01月31日 12:30:12

Vol.287 受験専門塾ではない、とはどういうことか

中学受験の結果が出揃ったのでご報告いたします。

甲南女子;2名
高槻;1名
雲雀丘学園;1名
附属池田;2名
明星;3名

これまで同様、進学先なので重複はありません。

9名中第一志望に合格できたのは3名だけ。
その数字は頭に、というよりかは心に残るのだろう。

第一志望、というのはいい加減な言葉で、
明確な定義はない。
私は、6年生の夏休みが始まる時点でのものを、
遅くとも終わる時点でのものをそのように
いうべきだと思っている。

その後志望校を上げたのであれば、もちろん
それはやはり第一志望と呼べるし、直前になって
「合格できそうにないので」と下げたのであれば、
それは第一志望とは呼べない。

2週前のブログでうまく導けなかったと述べた。
みんなして落ち込んでいたのだが、1週間も経てば、
うつむいていた子供自身も親御様も顔がグッと
前を向き始める。そして私も。
終わればあくまでも中学受験は通過点なのだ。

前を向く、というのは早くも大学受験に向けて
塾を決めて動き出すということではなく、
結果を受け入れて、過去ではなく未来に思いを
馳せるということである。

 出だしで大きくつまずきはしたが、
神大附属には進まないものの、出題された
400字の作文をしっかりと書き切って
「志高塾でやってきたことが生きました」と
合格の報告をしてくれたり、
附属池田は9時に発表なのに17時を過ぎても
連絡がないのでダメだったか、と思っていたら、
その後、親子揃って教室に来てくれたり。
顔を見たら、結果は明らかだったのだが。

ついでに、なぜ連絡がなかったかと言うと、
お母様が働いていており、発表を見に行った
おばあ様から子供もお母様もそれぞれ報告を受け、
お互いが教室に電話をしていると思い込んで
そのようになったとのこと。

HPを刷新するにあたり
「受験専門塾ではない、とはどういうことか」
という項目を設けた。
「先行試写会2」とタイトルを付けかけて、
こちらにした。まあ、工夫がないことに
変わりはないのだが。

たとえば、今年の6年生は11人いる。
2人は受験せずに地元の公立に通う。
それぞれ2年生と3年生から通い始めて
くれたのだが、元々中学受験をする予定はなかった。

また、受験をした9人のうち2人は受験後の翌週から
普段通りに来て、意見作文などに取り組んでいる。
そして3人は2月に帰ってくる。

その他、1人は進学先が決定したことの報告とともに、
「長い間休みをいただきます」とこれ以上ないぐらいに
「長い間」に重きを置き「いつになるかは分かりませんが
おそらく戻ってきます。おそらく。」という内容のことを
私に半笑いで告げていた。

これらの事実は、我々が受験専門塾でないことの表れである。

 私としては、10人いれば少なくとも1人か2人、
できれば3人ぐらいの生徒が受験後も続けてくれれば嬉しい。
続けるのが良くて、そうでないのがダメだという話ではない。

それ以外にも、1年以上前、半年ほど前にやめた生徒の
親御様がそれぞれご丁寧に「受験が終わりました」と
連絡をくださった。

そういう諸々のことがあって、自分の目指している方向は
それほど間違えていないのかな、という確認ができる。

では、今週も先行試写会をお楽しみください。


志高塾は受験専門塾ではありません。これまでもそれを訴えてきましたし、
今後もそのスタンスは不変です。その結果「志高塾は、受験に力を
入れない」と誤解されてきました。世の塾は「将来のため」か
「受験のため」に二極化しています。受験にすら役立たない将来に
役立つ力とは一体どのようなものなのでしょうか。
また、受験のための力は本当に受験には役立つのでしょうか。
志高塾に通う子供達はとにかく徹底して作文を行います。
それによって、言葉を使って考える力が磨かれていきます。その結果、
発想が豊かになり、自らのアイデアを他者に論理的に伝えられるように
なります。それは将来に役立ちます。実際、そのように子供を導くことは
容易なことではありません。ただ、我々が目指すところは間違いなく
そこなのです。
ここで受験の話に移ります。学校のレベルが上がってくると、
それに伴い、記述問題が増え、かつ難解なものになります。学校側が、
優秀な子供とそうでない子供を選別するためです。そのようなテストに
おいて、書く力がない子供がどのように得点するのでしょうか。問題を
大量に解かせて、10点の記述問題でどうにか5点取れるか取れないかの
ような方法を身に付けさせようとする。だから、国語が嫌いに
なるのです。作文を通して基礎力を養い、10点を取るために
頭を使わせる。すると、国語が苦手であった子供でも
「意外と楽しい」となるのです。
 つまり、「受験専門塾ではありません」というのは、「志高塾は、
作文を通して培った力を、読解問題を解かせることでより強く
しなやかなものにし、将来にも受験にも役立つ力を身に付けさせます」
という意思表示なのです。

2017年01月24日 08:17:13

Vol.286 先行試写会

 という名の手抜き?

 HPを刷新するにあたり、業者の方といろいろと
やり取りをしている。ブログも外部のサイトを
使うのではなく、直接HP上でアップするようになる。

それに伴いフォームも変更するのだが、「もう一度、
最初の頃のように縦書きに戻せませんか」という
依頼をした。結果的には、難しいということに
なった。ちなみに、そのお願いをした時に、
私は「今のスタイルじゃ、文章が走らないんですよ」
とその理由を伝えた。

「文章が走る」ってなんじゃ?と思われそうだが、
その感覚は正しい。きっとそんな言葉はない。
普通は「筆が進む」と表現する。

昔の文章をいくつか読んで、そのときの方が
勢いがある気がした。今は少しだけ経験を積んで、
それが邪魔をしているということや、題材自体に
新鮮がなくなってきているということなども
関係しているのだろうが、私はそれを文体のせいに
することにした。

しかし、幸い縦書きと横書き以外にも違いがあることに
気づいたのだ。以前は、本のようなスタイルだったので
段落分けのことしか考えなくて良かったのだが、
横書きにしてからはどこで改行するかということや
ひとつのかたまりを3〜5行にしようということなどに
意識を働かせなくてはならなくなった。

気持ちだけで文章を書こうとする私が、そんなとことに
頭を使えば、勢いがそがれて当然である。

というわけで、一行の字数を決めて、それに達したら
そこで自動的に改行が行われるような形式に変更し、
かつどこで一行空けるかなども考慮しないことにした。
すると、今よりはきっと”文章が走る”はずなのだ。

それでもダメだったら、何のせいにするかはその時に
考えよう。

さて、本題。HPの文章自体も全面改装をしている
最中である。そこで、「代表挨拶」を書き上げたので、
今日は特別に、本当はまだ見せたくはないのですが、
ブログを読んでくださっている方に先にお見せしちゃいます。


よりよい教育をより多くの人に。

2007年4月、志高塾を立ち上げるに際し、私が使命として
掲げたものがこれです。一人でも生徒を増やすことを第一義とする
「より多くの人によりよい教育を」とは似て非なるものです。
よりよい教育を常に意識し、実践をし、よい教育だからこそ
より多くの人(子供、親)にそれに接してもらうことで、
一人でも多くの子供達の未来を明るくできる、また、そう願う
親の期待に応えたい、という想いを込めています。
 あれから10年が経とうとしている現在(2017年2月時点)、
力が及ばなかったことは否めないものの、愚直に「よりよい教育」を
求め続けてきたという自負はあります。一方で、「より多くの人に」に
つながる行動を起こすことはできていません。
だから、次の10年ではそれを実現していきます。
 子供の頃、偉そうな先生(大人)が大嫌いでした。言動だけで
そのような判断をしていたわけではありません。
どれだけ厳しいことを言われようとも、尊敬できる先生であれば素直に
聞くことができました。私はできた人間ではないので、
残念ながら「こういう人になりたい」といったような手本に
なることはできません。でも、見る側から見られる側へと立場が
逆転した現在「あの人のこの部分だけは見習っていいかも」と
少なからず子供達に思ってもらえるような大人でありたいのです。
そのためには、分かったような気にならずに成長し
続けることが欠かせません。だからこそ、これまで同様、
これまで以上に「よりよい教育」を追い求め、
今後は「より多くの人に」も形にしていきます。
 29歳の頃、強い想いだけで始めた志高塾。それに賛同して
くださった、親としても人間としても先輩である親御様から
信頼してお子様を預けていただき、時に厳しいお言葉を
いただきながら私は多くのことを学ばせていただきました。
そして、この10年の間に、私は3人の息子の父になりました。
それらを活かし、志高塾の教育の質をさらに発展させていきます。
是非、新たな10年の船出を迎える志高塾にご期待下さい。

2017年01月17日 16:28:04

Vol.285 性できる説

 豊中教室の工事の打ち合わせをした際、
工事業者の方にざっくりの値段を聞いたら
予想していたより安かったので、
「安いですね」とそのまま言葉にした。

仲介してくださった馴染みの不動産屋の方も
同席していたのだが、後から「あんなことを言ったら
値段を吊り上げられますよ」とアドバイスをいただいた。
私のことを思ってのことなので、そのこと自体はありがたい。

ただ、もうすぐ40になるのでさすがにそれぐらいのことは
分かっているつもりである。たとえば、引越しをするとなれば、
相見積もりをとって、2, 3の業者に絞って、そこから
さらに値下げ交渉をする。そういうのは別に楽しくもないし、
達成感も何もないのだが。一方で、海外旅行に行って、
下手くそな英語で値切った時などは、たとえそれが大した額で
なくとも随分と得した気分になるものだ。

付き合いのある方であったり、そのような方からの紹介で
あったりした時には引越し業者の場合と話がまったく異なる。
もちろん、「もう少し安くなりませんか」とお願いすることもある。
ただ、私は基本的には信じる。十分に頑張った値段を
出してくれているのだと。いわゆる性善説だ。

それと同様、私は子供たちに対して”性できる説”の立場を取る。
やればできる、ということである。

 中学受験の結果が8割方出た。出揃った時点で、
後日ここで具体的な結果を報告させていただく。

このブログで紹介していた生徒も含め、私の見込みで
3人がボーダーライン上にいた。その3人ともが不合格に
なってしまった。しかも1人は、かなりの確率で
合格するはずであった。これまでは同じ状況であれば
確実に2人は合格していた。

アドバイスを求められれば自分なりの考えを伝えはするが、
進学塾ではないので、ここの学校にした方がいい、と
こちらから積極的に志望校を進めることはない。
子供の意思を踏まえた上での親御様の意向に対して、
我々が何をできるかを伝える。

その中で「合格できるはずです」と伝えることもあれば、
「かなりのチャレンジですが、本人がそう言うのであれば、
それに向かってやりましょう」となることもある。

ボーダーライン上の生徒は「合格できるはず」に
分類される。それなのに、という話である。
どこかで何かがずれていたからそのように
なったのだが、それが何なのかまだ分からない。

 私が落ち込んでいてもしょうがないのだが、
少々、いや、かなりへこんでいる。
多分あまりに元気がなかったからなのだろう。
昨日、電話で話していたら「先生、風邪ですか?」
と親御様から言われてしまった。
体自体は元気そのものなのだが。

以前にも書いたが、出てしまった結果に対して
責任を取ることはできない。
できるのは、結果が出る前に責任を持つことだけである。

しばらくは、うじうじと考えるだろうが、
今の時点で言えることは、今後も”性できる説”を
大事にし続けるということである。
“性できない説”に宗旨替えして保身を図る、という
みっともないまねだけは絶対にしない。