2016年07月26日 18:39:10

Vol.262 サウナが勉強なら水風呂は

 高校生の女の子が、
「春は眠いのは当たり前だけど、夏も眠い」
というので、自身の体験に基づいた
素晴らしいアドバイスをしてあげた。

「サウナに入ったらスッキリするで」
「家にサウナなんてありません」
「俺の家にもそんなんないわ。
スーパー銭湯に行くねん」
「そんなに暇じゃありません」
「・・・・」

最近は、2週に1回は3人の息子たちを
連れて行っている。
それが週末の楽しみの1つでもある。

サウナの後に水風呂に入ると気持ちいい、
というのは聞いていたが、小学生の頃、
プールに入る前に浴びたあの冷たい
シャワーのようなイメージがあり敬遠していた。

しかし、勇気を振り絞って入ってみた。
そんな大げさなことではないが。

その結果、私は水風呂の虜になった。
その後、長男と二男もその仲間に加わり
今では3人でサウナと水風呂を
1時間以上に渡って行き来している。

 それに関して不思議だなぁと思うことが
あった。その日初めてサウナに入る時でも、
その後に水風呂が待っているとなると、
以前より2, 3分は長居できるのだ。

水風呂に入った後であれば、体を冷やした分
我慢できるのは分かるのだが、
イメージするだけで時間が延びる。

また、水風呂を利用しなかった頃に比べて、
サウナのトータルの時間が格段に長くなった。

そして、今回のタイトルに行き着いた。
サウナは蒸し暑いので快適そのものではないのだが、
汗が出てきているのがわかり充実感が得られる。
また、水風呂があることでサウナを長い時間
楽しめる。

親はどうしても子供に勉強をさせようとしてしまう。
同じ暑さを感じさせるものでも、炎天下でとことん
頑張らせるといった熱中症になる危険をはらむような
やり方ではなく、サウナのようなもので、
かつ水風呂をセットにしてあげる必要がある。

水風呂が、体を動かすことなのか読書なのか
音楽を聴くことなのかは、その子供ごとで変わる。
ただ、ゲームはそれには当たらないだろう。

暇人と思われている私だが、夏期講習中は
気合を入れないと乗り切れないぐらい忙しい。
いつもに比べて文章が短かったのは、授業に
多大なエネルギーを割いていることの証である、
きっと。

2016年07月19日 15:51:25

Vol.261 トータルバランス

 野球でアメリカに、サッカーでヨーロッパに
渡っても期待されたような結果を残せないことが
それなりにある。

外国人に力負けしないように筋力トレーニングの量を
一気に増やしパワーアップしたものの
俊敏性が失われてしまったことがその要因と
なることは少なくない。
もちろん、言葉の問題など環境の変化に順応できない
というのもあるだろうが、

それゆえ、成功している選手の共通点として、
海外に行く前後で体型の変化が少ないというのが
挙げられる。

最もわかりやすい例はイチローである。
確か、渡米後すぐに筋肉量を増やしたものの、
0.5kgか1kgか細かい数字は忘れてしまったが、
体重が少し増しただけで動きが鈍くなったことに気づき、
すぐに元の体重に戻したというのは有名な話である。
そして、それは現在も維持されている。

サッカーでは、香川や岡崎がそれに当てはまる。
それに対して、本田は体が大きくなっているが、
元々スピードで勝負していた選手ではない。

 ある部分を鍛えると、通常その点においては
成長が見られる。それはある種当たり前の話で
あって、肝心なのはトータルでどれほどの
プラスを作り出せるのかということである。

しかし、勉強においては時間をかけても
その点においての成長どころかマイナスに
働いていることすらある。

中学受験がそれなりに近づいた時点で志高塾に
興味を持っていただき、体験授業に来られる。
その場合「算数は得意だが、国語は苦手」
というパターンが多い。

とにかく国語の授業をたくさんしましょう、
では提案とは言えない。
受験だけのことを考えるのであれば、
国語が10点上がって算数が20点下がってしまえば
意味がないのだ。もちろん、数字に現れないプラスを
生み出しているという自負はあるが、それは点数も
上げて、初めて価値があるものだ。

国語を10点上げて算数も5点上げるというのが
理想である。
それは、国語を勉強することによって読解力がつき、
それが算数に好影響を与えたからではなく、
心を落ち着かせながらじっくりと考えさせることで
それが算数を勉強する際にもプラスに働くという
イメージである。

これは私が繰り返し言うことではあるが、
読解力がすべての科目の基礎であるとは
思っていない。それでは、数学が抜群にできて、
国語がからっきし、という生徒がいることの
説明がつかないからだ。
説得力を持たせるにはできる限り多くの
根拠を提示するべきなのだが、ことこれに関しては、
この1つだけで十分である。

世間一般でそのようなことが言われているので、
親御様がそのように考えてしまうのはある種
当然のことなのだが、
国語を教えることを生業にしている人が
そのような発言をしたとすれば、その時点で
その人は信用に値しない。

 まだ本題には入っていないのだが、既に1000字程を
費やしてしまったので、それは捨て去りそろそろ締めに
入る。

この2週間ほどは夏期講習の時間割を作成するのに
多くの時間を要している。日頃「先生もう少し頑張って
ください」と親御様に言われれば「申し訳ございません」
と平謝りするしかないのだが、今同じことを
言われれば、「今だけは、もう少し優しいお言葉を」
とお願いさせていただく。
それでもようやく人並み程度なのだろうが。

去年までも数人の親御様から
「先生の方で、子供に必要な授業を
必要なだけ組んでください」
とお願いされることがあったのだが、
今年に至っては、さらに多くの親御様から
そのような形の依頼をされている。

その人数の多寡が我々の価値を決めるわけでは
ないが、1つの信頼の証であることに間違いはない。
授業の数が増えれば、それなりに自由も与えて
いただける。たとえば、月から金までの5日間
朝から夕方まで毎日教室に来る生徒もいる。

だからと言って都合よく空いているところに
授業を入れていくのではなく、毎日がリズムよく
回るように最大限の配慮をする。
通常通り週1コマだからと言って、その生徒を
後回しにするわけでもない。

かなり大げさな表現を使えば、いろいろなところに
気を配りながら、丹精込めて時間割を組んでいるのだ。
ほぼできあがり、それなりに手応えを感じていたら、
昨日、その期間に最も教室にいる時間が長いだろうと
思われる受験生の女の子が、私が好き勝手に授業を
入れているみたいな話をするので、もうそこは
勉強に関すること以上に丁寧に解説をした。

今の私なら、第三者の厳しい目でチェックして
もらっても、合格点をもらえそうな気がする。

2016年07月12日 11:45:14

Vol.260 システム in ブラックボックス

 3年前からなのか5年前からなのか、
始まりは定かではないのだが、
こんな人事評価のシステムがあれば
いいのに、と考えるようになった。

それは、それなりの多くの、少なくとも
30ぐらいの項目に関して各人の仕事の
パフォーマンスを数値化したものを
年度末に入力すれば、評価が数字となって
現れるというものである。

分かりやすいように営業を例にとる。
「昨年度の売上」、「今年度の売上目標」、
「今年度の売上」における個人とチームの
数字をそれぞれ入力するとそれだけで
項目の数は6つになる。

新入社員や転職組はその外であるが、
できれば2年、3年と複数年のデータを
入力するのが好ましい。
そして、1年間のトータルの数字だけではなく、
月次の数字も重要である。

たとえば、3月が年度末の会社で
1月の時点で既に売上目標を達成し、
2月、3月と数字が伸びず、
新年度になった4月に一気に成績が
上がっていれば、前年度の残り2ヶ月は
数字を抑えている場合が多い。

きっと、そこでは次のようなやり取りが
取引先とされていたのである。
「おかげさまで今年度は個人の売上目標を
達成できたので、4月になるまでは
できるだけ買いを控えてください」

そのような行為をちゃんと見抜けるように、
また、個人の成績としては特別大したことは
ないのだが、「なんかあいつのいるチームって、
みんなが協力し合って、毎年結果を出すんだよなぁ」
という、そんなあいつが高い評価を得られるように
システムは組まれる。

メーカーは、新商品に関する情報が
外部に漏れないように厳重に管理する。
それと同じように、社長と人事のトップなど、
ごく数人だけがこの人事評価のシステム構築に
携わるのだ。

 話の先が見えない方が多数だと思われる。
そこでそろそろ話を転換する。
志高塾における人事評価の話ではなく、
子育ての話がしたいのだ。

私は「あれをいついつまでにしておきなさい」
ということは基本的に言わない。
妻が時々そういうのを口にしているのを耳に
したときには「そんなことはどうでもいいよ」
と妻にも子供にも伝える。
妻の子供に対する威厳が損なわれないように
最低限の気を使って。最低限にすら達してないことも
あるので妻はしばしば腹を立てているだろうが。

例外は、読書に関することぐらい。
2年生の長男には、毎晩寝る前に30分ぐらいは
読書をするように、と伝えている。
それも、子供自身がやらされていると
感じないようにいろいろと気を配っている。

まずは、その他のことをうるさく言わないこと。
それによって、「お父さんがやりなさいというのは、
読書ぐらいでしょ」という言葉が意味を持つ。
その他は、子供の会話の中に出てきた本から
仕入れたであろう知識をとにかく褒めること。
それには「何で、そんなこと知ってるの?」
という問を発する。それに対して、
「テレビでやってたから」という答えが
返ってくることもあるが、やはり多くのことを
本から吸収している。

最近も、確か自動車メーカーの販売に
関わっている人が、取引先と結託して不正を
働いたことがニュースになっていた。

それはやはり評価のシステムが明らかに
なっていることによって引き起こされた。
ある一定の数字を超えればボーナスが
支給されるとなれば、いつの間にか
それをクリアすることだけが目的となる。

手段の目的化が起こっているのだ。
元々は、頑張って売りたいという気にさせる
ための数字だったはずなのに。

 一昨日の日曜日、昼ご飯のときに長男が妻から
その日中にやるべきことを言われていたので、
それを受けて私は珍しく「夕方には出かけるから、
それまでにやることをやっておきなよ」と長男に伝えた。
何時までにどこまで、と明確にはせずに。

私はその後のんきに昼寝をして、
「そろそろ行くか」という段になって、長男に
「終わった?」と聞いたら、「まだ」と返ってきたので
「じゃあ、今日はなしだな」ということで、
二男と三男を連れて出かけた。

具体的に決めていなかったわけだから、正確には
「終わった」も「まだ」も存在しないのだが、
少なくとも長男は胸を張って「終わった」と言える状況には
ないことを理解していたのだ。

私の前でもすごく行きたそうにしていたし、
私たちが出かけた後も妻に「行きたかったなぁ」
と漏らしていたらしい。

きっと、次に同じような状況になったら、
どのようにすればいいかを自分なりに考えるだろう。
またダメかもしれないし、私の中のシステムが
OKを出すかもしれない。
ここで大事なのは、子供がその評価にそれなりに
納得していることである。

 分かったようなことを書いてきたものの、
このシステムがとてもうまく機能しているわけではない。
ただ、子供自身が自分なりの目標を持って、
それに向かって行動できるようにするためには、
長い時間をかけて、その度ごとにマイナーチェンジを
繰り返しながら、より良いシステムを私の中に
構築していくことこそが重要なのだと私は信じきっている。