面談ウィークが始まる。
それを前倒しして、ということではなく、
このタイミングで、改まって話をする必要を
感じたので、高校生の生徒とお母様と私の
三者面談をしましょう、と私の方から声を掛けた。
要は、面談ウィークとは無関係に行われた、
ということが言いたいのだ。それゆえ、
それなりに解決するべき課題があったと
いうことである。
結局は、仕事で忙しいお父様も参加されたので、
四者面談ということになった。
かいつまんで話をすると、本人は
お父様のように医者になりたいと
昔から思っているが、
数学が決して得意とは言えず(これはかなり
控えめな表現である)、本来であれば
その分勉強して穴埋めをしなければいけない。
しかし、やる気が沸いてこず思ったように
進んでいないため、果たしてそのままの
目標を掲げ続けるのがその子にとっていいのか、
ということが話の中心であった。
今の数学の状態では文系でもしんどい。
国語が得意で、意見作文もいいものを書くので、
それであれば文系に移った方がいいのでは、
というのが私の提案の骨子であった。
私はどちらかと言うと、そのようなことを
あまり勧めない。でも、この件に関しては、
一度掲げた目標に背を向けるのではなく、
前をしっかりと見つめながら一度後ろに引いた方が、
将来的には前に進めるような気がした。
リポビタンDのCMではないが、あと少しで
手が届きそうなところにあるから、崖の上から
差し伸べられている手に向かって自分の手を
一生懸命に伸ばすのだ。
それが5mも10mも先にあれば、最後の力を
振り絞るエネルギーが湧き出てこない。
ここではエネルギーではなく、
ファイトと言うべきか。
まずは、文系に移り、自分の得意なことを
活かしながら、数学の勉強もしっかりする。
そこで結果を出し、自信をつける。
それでもやはり医者になりたければ、
理系に戻る。
理系から文系より、文系から理系に移る方が
断然難しい。そのことは百も承知である。
しかし、ここで決断をし、着実に
前進していくことで後1mぐらいの
ところまで来るのではないだろうか。
リポビタンDの例えなどを含め、その場で話して
いないこともいくつか加えたが、話し合いの冒頭で
私が伝えたのは大体このようなことであった。
後から思い返せば、その時点で私の役目は終わっていた。
私の話がひと段落した時点で、それまでほとんど
口を開いていなかったお父様が話を始められた。
「自分は、理系科目は得意であったが
文系はそうでなかったため苦労した。
文系の学部を卒業してから医学部に
入り直したような人も周りに何人かいる。
彼らはいろいろなことを知っていて、
かつそれを自分の言葉で表現できる。
そして、それは医者として武器になる。
また、そうまでして医者になりたかった
人たちだからいい医者になっている。
だから、回り道は決して無駄ではない。
数学のノートを見たが、あまりにも
汚すぎる。情報を整理する力は
患者のカルテなどをまとめるときにも必要なので、
それをしっかりやらなければいけない。
医者というのに憧れているが、思っているほど
華やかな仕事ではない。
とにかく地道なことの繰り返しで、
それを積み重ねていくことでいい仕事ができる。」
私の方に向いていた顔はいつしか、
横に座っている息子の方に少し向けられ、
決して口数が多いとは言えないお父様が
上のようなことを時間をかけてじっくりと
語りかけていた。まるでそこには2人しか
いないかのように。
その表情は優しく、口調は愛情に満ち溢れていた。
置物と化した私は、自分は父からこんな風に
仕事の話を聞いたことがない、そして、
きっと自分も我が子にそんなことを話す機会は
ないだろう、話を聞きながらそんなことを
考えていた。
今後の進路についてまだ何も決まっていない。
父親のメッセージをしっかりと受け止め、
前に進んで欲しい。