2016年05月31日 08:22:04

Vol.253 父から子へ

 来週から半年に1回の親御様との
面談ウィークが始まる。
それを前倒しして、ということではなく、
このタイミングで、改まって話をする必要を
感じたので、高校生の生徒とお母様と私の
三者面談をしましょう、と私の方から声を掛けた。

要は、面談ウィークとは無関係に行われた、
ということが言いたいのだ。それゆえ、
それなりに解決するべき課題があったと
いうことである。
結局は、仕事で忙しいお父様も参加されたので、
四者面談ということになった。

 かいつまんで話をすると、本人は
お父様のように医者になりたいと
昔から思っているが、
数学が決して得意とは言えず(これはかなり
控えめな表現である)、本来であれば
その分勉強して穴埋めをしなければいけない。
しかし、やる気が沸いてこず思ったように
進んでいないため、果たしてそのままの
目標を掲げ続けるのがその子にとっていいのか、
ということが話の中心であった。

今の数学の状態では文系でもしんどい。
国語が得意で、意見作文もいいものを書くので、
それであれば文系に移った方がいいのでは、
というのが私の提案の骨子であった。

私はどちらかと言うと、そのようなことを
あまり勧めない。でも、この件に関しては、
一度掲げた目標に背を向けるのではなく、
前をしっかりと見つめながら一度後ろに引いた方が、
将来的には前に進めるような気がした。

リポビタンDのCMではないが、あと少しで
手が届きそうなところにあるから、崖の上から
差し伸べられている手に向かって自分の手を
一生懸命に伸ばすのだ。
それが5mも10mも先にあれば、最後の力を
振り絞るエネルギーが湧き出てこない。
ここではエネルギーではなく、
ファイトと言うべきか。

まずは、文系に移り、自分の得意なことを
活かしながら、数学の勉強もしっかりする。
そこで結果を出し、自信をつける。
それでもやはり医者になりたければ、
理系に戻る。

理系から文系より、文系から理系に移る方が
断然難しい。そのことは百も承知である。
しかし、ここで決断をし、着実に
前進していくことで後1mぐらいの
ところまで来るのではないだろうか。

リポビタンDの例えなどを含め、その場で話して
いないこともいくつか加えたが、話し合いの冒頭で
私が伝えたのは大体このようなことであった。
後から思い返せば、その時点で私の役目は終わっていた。

 私の話がひと段落した時点で、それまでほとんど
口を開いていなかったお父様が話を始められた。

「自分は、理系科目は得意であったが
文系はそうでなかったため苦労した。
文系の学部を卒業してから医学部に
入り直したような人も周りに何人かいる。
彼らはいろいろなことを知っていて、
かつそれを自分の言葉で表現できる。
そして、それは医者として武器になる。
また、そうまでして医者になりたかった
人たちだからいい医者になっている。
だから、回り道は決して無駄ではない。

数学のノートを見たが、あまりにも
汚すぎる。情報を整理する力は
患者のカルテなどをまとめるときにも必要なので、
それをしっかりやらなければいけない。

医者というのに憧れているが、思っているほど
華やかな仕事ではない。
とにかく地道なことの繰り返しで、
それを積み重ねていくことでいい仕事ができる。」

 私の方に向いていた顔はいつしか、
横に座っている息子の方に少し向けられ、
決して口数が多いとは言えないお父様が
上のようなことを時間をかけてじっくりと
語りかけていた。まるでそこには2人しか
いないかのように。
その表情は優しく、口調は愛情に満ち溢れていた。

置物と化した私は、自分は父からこんな風に
仕事の話を聞いたことがない、そして、
きっと自分も我が子にそんなことを話す機会は
ないだろう、話を聞きながらそんなことを
考えていた。

今後の進路についてまだ何も決まっていない。
父親のメッセージをしっかりと受け止め、
前に進んで欲しい。

2016年05月24日 09:58:53

Vol.252 えっ、そっち?

 灘高の3年生の数学の授業では、
面白いことをしているらしい。

当てられた人がまず解答を黒板に書く。
そこから始まりなのだ。
別解を思いついた人がノートに書き
(事前に書いてきているのかもしれないが)、
先生に見せる。認められればそれを披露する。

認められないものというのは、一見違う
解き方に見えるが内容的に大差がない、
というものだろう。しりとりで例えるなら、
「うま」に対する「こうま」、
「ねこ」に対する「こねこ」、
がそれに当たるだろうか。

1つの問題に対して、5つ、6つの解き方が
並ぶこともあるとのこと。
私の予想では、2つ、どれだけ多くても
3つだと思っていたので、すごいなぁ、
とあまりにも幼稚な感想を持った。

 こういうものに対して、
「余裕があるから」の一言で終わらせる人が
少なくない。

昨日電話であるお母様と話していると
流れの中で「そういえば、灘では」と
上の話になった。

すると、すぐさま「余裕があるからですよ」
と返ってきた。間髪入れずに、というのが
ぴったりの素早さであった。
その時点で今回のテーマは決めていたので、
「うわっ、それ、明日私が文章で書こうと
していることですやーん」となった。

確かに、彼らは概してよく勉強ができる。
でも、それを「頭がいい」の一言で
終わらせるのは適切ではない。
自分の受験生の頃と比べると、
格段によく勉強している。

もし、世間一般の人がいうような意味に
おいて彼らに余裕があるのであれば、
そんなに勉強はしない。

 前述のお母様となぜそのような
話になったのか。それは、小学3年生の
お子様に勉強をさせているのはいいのだが、
「そんなさせられ方をすると、勉強が
嫌いになってしまいますよ」ということを
伝えたかったから。

教育熱心な私立の小学校も進学塾も
ベルトコンベアの上に乗せて、
一定のスピードで次々と問題を
子供の前に運んで来る。
そして、時間内にそれを正確に処理できなければ、
とても悪いことをしているように子供に感じさせる。

別解をいくつも出すというのは、その問題を
処理しているのではなく、しっかりと味わいながら
消化している。

「余裕があるから」が怖いのは、「余裕のない
うちの子供は、そんな余計なことをせずに、
1つの解き方だけ身につけたら、さっさと
次の問題に移ればいい」という考え方に
つながるから。
私からすると、「そっちを削っちゃうの?」
といった感じである。

でも、少し考えたら分かる。灘に通う
彼らの方が、計算高く、効率的に勉強をする。
つまり、1つの問題をいろいろな角度から
見るのはとても有効なことなのだ。

だから、私なら3問を機械的に解かせるのであれば、
1問を人間的に、ああでもない、こうでもない、
と吟味しながら解かせることを選ぶ。

5つが無理なら3つ、それも無理なのであれば
1つ別解を出す、出そうとして欲しい。
それすらも難しいようであれば、せめて問題を
自力で解くことだけはさせてあげてほしい。

そこを誰かが必死に守ってあげれば、正解がある
受験勉強では、彼らにはまったく歯が立たなくても
「考えることは諦めなかった」と子供自身が
思えるのではないだろうか。

そこで長年培ったものが、大人になってから生きる。
私はそう信じながら、途中で投げ出そうとしている
子供を見たら「おい何してんねん」と今日も厳しく叱り飛ばす。

2016年05月17日 13:38:24

Vol.251 本音は本音?

 今回は、長男の話。

学校から帰宅すると、咳をしていたので
妻が熱を計ると37.8℃あった。
それにも関わらず、月に1度のプールの
テストに向かった。

しかもその日は、いつも同じ時間に
通っている二男も体調を崩していて、
既に休むことを決めていたこともあり、
妻が「休めば」と提案したが、
「絶対行く」と聞く耳を持たなかったらしい。

サッカーの練習の時、高学年が試合を
しているのを待っている間、我が子は
低学年の子供達5, 6人でボールの
取り合いをするゲームをしていた。

コーチが見ていなかったこともあり、
周りの子供達がふざけて適当に蹴る、
というのが何度か繰り返されていた。
少し離れたところから「あれはひどいな」
と思いながら見ていたら、
耐えかねた長男が「ちゃんとやろうよ」と
注意していた。

結果はどうであったか。
テストには落ち(おそらく、3ヶ月連続ぐらいで)、
その後も子供達はいい加減な練習を続けていた。

私は長男のことを自慢しているのだ。
それができるのは、ごく一部の変わった人を
除き、うらやましがられないということが
分かっているから。

塾で一番上のクラスに入りました、テストで
良い成績を取りました、ということであれば
ここで話題にしない。そもそも、そんなことを
自慢したいとも思わないが。

私が同じ立場であれば、その日は早々に
休むことを決め(その代わり、同じクラスに
長い間とどまっていることもなかった)、
ふざけている奴がいれば、力尽くで真剣に
取り組ませたであろう。

「どうせ落ちるから休む」
「下手くそだから遠慮して言いたいことも言わない」
と考えなかったことが嬉しい。

もちろん、テストに合格し、みんなを導ける
リーダーシップを持っているに越したことはない。

でも、両方ではなくどちらかしか選べないとしたら、
私は、自分のようなタイプではなく、長男タイプに
なることを望む。親御様にもそのように話してきた。

親としてはどうしても目に見える結果が欲しい。
だから、私の長男のようなタイプであることが
中々受け入れられない。しかし、私はそれに対して
「いいと思いますよ、それで」と伝えてきた。
励ましていたのではなく、心底そう思っていたのだ。
そう、それは私の本音だったのだ。

 次は、もう少し勉強に近い話を。
志高塾は一時期横浜にも教室を構えていたため、
そこで使っていた本は、そのまま我が家の本棚にある。
絵本を含め、約2000冊はあるだろう。

体験授業に来られた親御様に言葉の大切さ、
本を読むことの大切さを私は説く。それも本音。

ただ、実際自分が小さい頃本を読まなかったので、
どうしたら自分の子供が本好きになるかは
正直分からなかった。

私が気をつけたのは主に2つ。
1つは、本を読んでいることを褒めること。
そのこと自体もそうだが、会話の中で
本から得た知識などが出てくると、
そんなことを知っていてすごいな、
と声を掛ける。

そして、もう1つは本を読む時間を作ること。
習い事をたくさんさせたりせずに。

2週間ほど前に、ふと見たら教室にも置いてある
講談社の世界の冒険文学シリーズの
H・Gウェルズ原作の『タイムマシン』を
読んでいた。
すべての漢字にルビは振っているものの、
分厚さといい、字の小ささといい、
小学2年生でよくこの本を選んだな、と感じた。
そして、それがとても嬉しかった。

それを読破した後は、一緒に『真田丸』を
見ていることもあり、同じシリーズにある
『真田十勇士』を勧めた。それもいつの間にか
読み終え、今は自ら選んだ『ロビンソンクルーソー』の
世界に入っている。

私は数学が好きで、国語は嫌いであった。
受験も数学だけでどうにかやってきた。
そして、大人になった時に、言葉の世界が
広がっていない自分に限界を感じた。
それゆえ、志高塾は言葉に関することに重きを
置いている。

「子供の頃から、数字だけではなく、
言葉に親近感をもっと持てていたら」というのが
私の中にはある。数学に国語を付加する、
というイメージである。

先ごろ、その長男と話をしていて、
「あれっ、自分と比べて随分と数字に
弱いな」となった。
しかし、すぐさま「今はまだ時期じゃないから、
まっ、いっか」となった。
その瞬間、自分の本音は紛れもない本音なのだと
実感した。

サッカーも下手くそなのであれば、一人で練習して
少しでもうまくならなければならない。
数字にも強くなって欲しい。
そういうことも大事。

でも、どうやって人間の芯の部分を育てていって
あげるか、というのはそれ以上に大事。

そのためには、目の前のこと、表面的なことに
とらわれても、とらわれすぎないことが大事。