教室が来週1週間お休みをいただくため、
ブログもお休みさせていただきます。
先週、
「いい人を採用できた」と嬉しそうに話したら、
「いつも同じこと言ってますよ」ともうすぐ
志高塾で教え始めてから4年になる講師に
突っ込まれた。指摘されるまで
その事実にまったく気付いてなかった。
一昨日放映された『真田丸』のタイトルは
「表裏」だった。それは秀吉の二枚舌を
表現していた。そういうのを見ると、
何かしら大きなことをするには、
使い分けることが大事なのか、と
思ってみたりもするのだが、結局は、
自分には合わないな、というところに行き着く。
それは、単に嘘つき呼ばわりされるのを
恐れているだけなのかもしれないが。
日頃から、親御様に講師間の会話を聞かれても、
メールのやり取りを見られても、
まったく問題のないようにしている。
何でもかんでも伝えればいいと
いうわけではないので、心配性の親御様に
「うちの子大丈夫でしょうか?」
と聞かれれば、
「(半年ぐらいは時間はかかりそうですが)
大丈夫です」
と答える。その際、括弧の中の内容は
口にしない。
それが3ヶ月や1年になることもある。
「大丈夫です」という場合もあれば、
「大丈夫になるようにします」という場合もある。
そのいずれでもなければ、それは正直に話し、
親御様と我々との間にあるずれの部分に
明らかにして、共通認識を持てるようにする。
仮に、その半年が親御様の想定している
期間より長いと判断すれば、その場合も
すり合わせが必要になる。
冒頭の話に戻す。私は心から
「いい人を採用できた」と思っている。
もし、そう感じられない人を採用したので
あれば、親御様に知られてはまずいことに
なってしまう。つまり、そこに表裏はないのだ。
出会って良かった、と子供たちが
思えるような講師になって欲しい、
という期待をいつも込めている。
当然のことながらうまく行かないこともある。
期待すればした分だけ、私の落ち込みの落差は
大きくなる。自分自身を守るために、
あまり期待しないようにしようかな、
と考えたりもする。
幻冬舎を立ち上げた見城徹の『たった一人の熱狂』を
読み、いかに自分が小さいことしか考えられて
いなかったか、ということに気づかされた。
砕けることを恐れずに当たりに行かなアカンな、と。
きっと、砕けたら砕けた分だけ強くなるんやな、と。
ここは思い切って、あの本の装丁で使われている
見城徹の表情を真似たものを私も撮ってもらって、
HPのプロフィール写真を差し替えてみようかな。
気になる方は、amazonか何かで検索してみて
ください。違和感なくイメージできて
結構笑えるはずです。
“give and take”という。そんな言葉に従って
まずは自分が“give”するところから、なんて
考えていても、いつの間にか“take”するために
“give”するようになってしまう。
そうではなくて“give with take”なのだろう。
採用の例で言えば、“give”というのは少々
偉そうな表現かもしれないが、「志高塾で
働きたい」という人に、その環境を用意する。
その時に「いい人を採用できた」と
同時発生的に私はもう“take”している。
その瞬間完結しているのだ。
結果的にうまく行かなかったとしても、そこから
私が何かを吸収できれば、さらに“take”できている
ことになり、“give with take, and take”
ということになる。
もちろん、うまく行かない、というのは生徒や
親御様に迷惑をかけない範囲に収まっていなければ
ならない、という条件付きではあるが。
現在、自分をバージョンアップさせようと
意識的に負荷をかけている。それゆえ、文章もいつも
以上に訳のわからない精神論になっていたりする。
しばらくはご容赦願いたい。