いただいております。私のブログは1週間
ずらして来週をお休みとさせていただきます。
私と6年生の女の子とのやり取りを聞いて、
5年生の生徒がやや不満げに「先生、女の子には
甘いよなぁ」ともらした。
以前、2年生の女の子が作文をうまく書けず
泣いていたのを見た時、
「泣くのはいいけど、俺、泣いている生徒には
もっと厳しくなるで。それでもいいなら
泣いときや」というようなことを伝えた。
泣いている生徒すべてにそのように言うわけではないが、
その子を見た時、
「泣いたら許されると思っているな」と感じて
そのように対応した。
つまり、女の子に甘いわけではないのだ。
ちなみに、前述の5年生の生徒も女の子なので、
話としてはおかしい。自分にはあまり優しくないと
感じての発言だからだ。
そう言えば、数ヶ月前に3年生の女の子を
玄関で見送る際、普段通り
「気をつけてね。さようなら」と声を掛けたら、
それをソファで聞いていた中学1年生の女の子に
「なんか、私の時と声(の高さ)が違う!」と
指摘された。一瞬「そうか?」と考えてみたが、
特段否定する要因が見つからなかったので
「確かにそうやな」と素直に認めた。
その中1の生徒は4月からしばらく休塾することになり、
「先生、寂しい?」と聞かれた。
「寂しいなぁ」と適当に返したら、
「でも、あの子(3年生の女の子)が
いるからいいか」と突っ込まれた。
心が休みモードなので、本題とまったく
関係のないことを書いてしまった。
話を戻そう。その6年生の女の子のことは
これまでの生徒の中で一番ではないかな、
というぐらい怒りまくっていた。
3本の指には入ることは間違いない。
そりゃそうだ。
授業中にぼーっとしている時間が長く、
あげくの果てには机を削ったり、
壁紙に落書きしたりしていたのだから。
それを見て切れない方がおかしい。
中学受験も直前に迫った冬休み、
2日連続で5分ぐらい遅刻してきた。
こりゃアカンとなり、本人にも親御様にも
「明日以降1分でも遅れたらその日は授業をしません」
と伝えた。
その翌日からどうなったか。朝は苦手と言っていたのに、
30分前に教室に来るようになったのだ。
その気になれば多くのことはできてしまう。
私は基本生徒が来る30分ぐらい前には
いるようにしているのだが、彼女が
それだけ早く来るようになったことにより、
私の出勤時間も早まった。
受験直前の生徒を教室の前で待たせて
風邪を引かせるわけにもいかないので。
朝の30分は大きい。でも、きっと
こういう時に「嬉しい悲鳴」という言葉を
使うのだろう。
無事に合格し、そのタイミングでやめるのかな、
と思っていたから、そのことを伝えたら
至極当然のように「やめへんで」と
返ってきた。そして、今では6年生の中で
1番頑張ってる、と感じさせるぐらいに
勉強に対して前向きになっている。
別に2番でも3番でもいいのだが、
少なくとも以前の彼女とは別人なのだ。
なぜ彼女が受験後も勢いを失わないどころか、
加速しているのか。それは、自分は勉強が
できないわけではない、というのを実感し始めたから。
彼女が志高塾に通い始めたのは、大手塾でうまく
行かなかったから。そのような生徒は決して少なくない。
ただ、我々のところに来たことがきっかけで、
ゆっくりとではあるが、大抵は少しずつ高度を
上げていく。しかし、その子は、雨が降る前の
つばめのように、地面すれすれを水平飛行し続けていた。
中学受験までは、それまでに空けてしまった
大きな穴を埋めるということにエネルギーを
費やさざるを得なかった。
しかし、算数から数学に変わるタイミングで
一度リセットされる。彼女は、それを絶好の機会と捉え、
積み上げていくことに喜びを感じているのだ。
そして、私は「中1のうちは突っ走れ。1年間頑張れば、
そのポジションが自分のものになるから」
と繰り返し伝えている。
私が優しく接するかどうかに性別も、学年も関係ない。
力を出し切っていると判断すればそうなるし、
そうでなければそれなりに厳しくもなる。
講師たちに、意味もなく子供を褒めないようにと
伝えている。我々の役割は褒められる部分を作って
あげることだ。
我々自身の手で、子供たちを成長に導いてあげ、
成長が見られた部分を褒めてあげることこそが重要なのだ。
先の件も同様である。力を出し切れるように促してあげ、
その結果、優しく接するのだ。