添削の時もほとんど手を入れなかった。
修正後の表現には下線を引き、その前のものは
括弧の中に入れることでその部分を明確にする。
漢字や平仮名などもそのままにしてある。
イタリアで、新しく住居を建設しようと思うと、
そのための材料の中に一定以上の廃材を利用して
いなければならないという。
同様の制度は世界各地に設けられており、例えば
ドイツでは屋根の色に、京都では、景観保護のため、
高層建築と外壁の色に、それぞれ厳しい制限がある。
スイスでも、テラス(建物)に花を飾るなど
しなければならない、という決まりがあるらしい。
スイスで緑化が行われているように、日本にも
屋上緑化会社というものが存在するらしい。
先日新聞で見かけたのだが、その会社の
最終試験の内容に驚いた。そこ(最終試験)では
二日間を費やして一種の人生ゲームをするのだという。
むろん、ゲームの結果が合否に直結するわけではなく、
評価対象になるのはゲームをするなかで見える
素の人間性や考え方だ。
ゲームに集中することで、通常の試験では(普段)
表面に出てきづらい(こない)部分が見えて
くるのだとその会社の社長はコメントしていた。
この考え方、試験の行い方は面白いものだと思う。
数年前までゲームが何らかの評価対象になる(試験)なら
楽なのにと思っていた。
思っていたようなテレビゲームとは(というのとは)少し
ちがうが、ゲームであることには間違いないので
一度熱中できれば無駄に緊張することはなく臨むことが
できる。更に、ゲームになると性格が変わる人が
いるので(ように)、筆記試験(勉強)や面接だけでは
見えない別の一面が見えることもあるだろう。
二日間同じゲームを続けられる集中力や忍耐力、
与えられた状況から優位に立つための道筋を
考える思考力や、実行に移すための決断力。
どれも、社会では必要だし役立つものだと思う。
ただ、この方法では即戦力となる人材は見わけられても、
大器晩成型のゆっくり成長していくタイプの人を
見いだすのは少々難しい。即戦力と同時に、
人材の育成にも対応した方法で、様々な人材を
発見できれば面白いと思う。(完)
このような学年の生徒に意見を書かせる場合、
私が気になった新聞記事を切り抜きしたものを
2, 3渡し、その中から1つ選んでもらうことが多い。
この生徒にもそのようにしていたのだが、本文の内容を
かなり抜粋してしまっていた。何度注意しても変化が
見られなかったので別の方法を取ることにした。
それは、メモに私が思いついた単語を適当に
書いていき、その中から選んでもらうというものだ。
ちなみに、現在そこに並んでいる単語は、
「風」、「側面」、「大人」、「時計」、「ロボット」、
「ロケット」、「アメリカ」、「ブラジル」、「数字」、
「授業」、「リサイクル」、「たこあげ」、
「カニ歩き」などである。
通常1つの単語でいいのだが、今回はそこにあった
「緑」、「イタリア」、「京都」、「花」の4つを絡めたと
満足そうにしていた。
作文の中身に話を移す。表現としては、「らしい」、
「思う」などが多用されているため、本来であれば
もう少し工夫して欲しいところなのだが、
添削にかかった時点で、終了時刻が迫っていたので、
そこには手をつけなかった。
いろいろな表現を使わせる目的の1つとしては、
使える言葉を増やすというのがあるが、
この生徒の語彙力はかなり豊富であるため、
そこは若干緩くしている。
その一例を示す。以前
「次はちゃんと書き上げえや」と伝えた時に、
「善処します」と返してきた。
私がこの作文を評価する点はいくつかある。
冒頭の話からうまく話をつなげたこと。
中学生が就職試験の内容に興味を持ったこと。
また、この試験では大器晩成型が見落とされる
可能性があるということに考えを巡らせたことである。
それについては、その記事にあったことなのか、
それとも自分で考えたことなのかを知りたかったので、
尋ねてみた。
自分で考えたことらしいのだが、
仮にそうでないとしても、それが頭にきちっと
入っている(自分で考えたと錯覚するぐらいに)
ことが素晴らしい。
「面白いこと書くやん」と話したら、
「たまたま2, 3日前に新聞にあったことについて
書いただけですよ」となに食わぬ顔で返してきた。
そもそも新聞を読む中学3年生の子供は多くない。
仮に読んだとしても就職活動に関する記事には
興味を示さない。
百歩譲ってそれを読んだとしても、そこに
書かれていたことについて自分の意見を
論理的に述べることはできない。
すごいなぁ