2016年02月23日 17:51:54

Vol.241 すごいなぁ

 今回は、中3の生徒の書いた作文を紹介する。
添削の時もほとんど手を入れなかった。
修正後の表現には下線を引き、その前のものは
括弧の中に入れることでその部分を明確にする。
漢字や平仮名などもそのままにしてある。


 イタリアで、新しく住居を建設しようと思うと、
そのための材料の中に一定以上の廃材を利用して
いなければならないという。
同様の制度は世界各地に設けられており、例えば
ドイツでは屋根の色に、京都では、景観保護のため、
高層建築と外壁の色に、それぞれ厳しい制限がある。
スイスでも、テラス(建物)に花を飾るなど
しなければならない、という決まりがあるらしい。

 スイスで緑化が行われているように、日本にも
屋上緑化会社というものが存在するらしい。
先日新聞で見かけたのだが、その会社の
最終試験の内容に驚いた。そこ(最終試験)では
二日間を費やして一種の人生ゲームをするのだという。
むろん、ゲームの結果が合否に直結するわけではなく、
評価対象になるのはゲームをするなかで見える
素の人間性や考え方だ。

ゲームに集中することで、通常の試験では(普段)
表面に出てきづらい(こない)部分が見えて
くるのだとその会社の社長はコメントしていた。

 この考え方、試験の行い方は面白いものだと思う。
数年前までゲームが何らかの評価対象になる(試験)なら
楽なのにと思っていた。
思っていたようなテレビゲームとは(というのとは)少し
ちがうが、ゲームであることには間違いないので
一度熱中できれば無駄に緊張することはなく臨むことが
できる。更に、ゲームになると性格が変わる人が
いるので(ように)、筆記試験(勉強)や面接だけでは
見えない別の一面が見えることもあるだろう。

 二日間同じゲームを続けられる集中力や忍耐力、
与えられた状況から優位に立つための道筋を
考える思考力や、実行に移すための決断力。
どれも、社会では必要だし役立つものだと思う。
ただ、この方法では即戦力となる人材は見わけられても、
大器晩成型のゆっくり成長していくタイプの人を
見いだすのは少々難しい。即戦力と同時に、
人材の育成にも対応した方法で、様々な人材を
発見できれば面白いと思う。(完)


 このような学年の生徒に意見を書かせる場合、
私が気になった新聞記事を切り抜きしたものを
2, 3渡し、その中から1つ選んでもらうことが多い。

この生徒にもそのようにしていたのだが、本文の内容を
かなり抜粋してしまっていた。何度注意しても変化が
見られなかったので別の方法を取ることにした。

それは、メモに私が思いついた単語を適当に
書いていき、その中から選んでもらうというものだ。
ちなみに、現在そこに並んでいる単語は、
「風」、「側面」、「大人」、「時計」、「ロボット」、
「ロケット」、「アメリカ」、「ブラジル」、「数字」、
「授業」、「リサイクル」、「たこあげ」、
「カニ歩き」などである。

通常1つの単語でいいのだが、今回はそこにあった
「緑」、「イタリア」、「京都」、「花」の4つを絡めたと
満足そうにしていた。

 作文の中身に話を移す。表現としては、「らしい」、
「思う」などが多用されているため、本来であれば
もう少し工夫して欲しいところなのだが、
添削にかかった時点で、終了時刻が迫っていたので、
そこには手をつけなかった。

いろいろな表現を使わせる目的の1つとしては、
使える言葉を増やすというのがあるが、
この生徒の語彙力はかなり豊富であるため、
そこは若干緩くしている。
その一例を示す。以前
「次はちゃんと書き上げえや」と伝えた時に、
「善処します」と返してきた。

 私がこの作文を評価する点はいくつかある。
冒頭の話からうまく話をつなげたこと。
中学生が就職試験の内容に興味を持ったこと。

また、この試験では大器晩成型が見落とされる
可能性があるということに考えを巡らせたことである。
それについては、その記事にあったことなのか、
それとも自分で考えたことなのかを知りたかったので、
尋ねてみた。

自分で考えたことらしいのだが、
仮にそうでないとしても、それが頭にきちっと
入っている(自分で考えたと錯覚するぐらいに)
ことが素晴らしい。

「面白いこと書くやん」と話したら、
「たまたま2, 3日前に新聞にあったことについて
書いただけですよ」となに食わぬ顔で返してきた。

そもそも新聞を読む中学3年生の子供は多くない。
仮に読んだとしても就職活動に関する記事には
興味を示さない。
百歩譲ってそれを読んだとしても、そこに
書かれていたことについて自分の意見を
論理的に述べることはできない。

すごいなぁ

2016年02月16日 13:54:21

Vol.240 今度こそ

 この2年ぐらいのうちに、3人のお母様が
ほぼ似たようなことを口にされていた。
「普通にしてたら、できるようになるわけでは
ないんですね」

いずれの方も上の子では、進学塾に通わせて
大きな苦労もなく受験を終え、それと同じように
行くと思ったら、2番目の子供では苦戦をし、
その混迷の時期に漏らした言葉である。

「普通にしてたら」とは、授業に出席し、
宿題をこなしていたら、という意味である。

子供は子供で大変である。自分自身では普通に
やっているつもりなのに、結果がついてこず、
親が上の子のようにうまく行かないことに
困っているのを目の当たりにするわけだから。

これがパターンA。

 中学、高校と灘に通った、今も付き合いのある
大学時代の友人がいる。この仕事をしていなければ
おそらく聞かなかったとは思うのだが、
小学校時代の塾について尋ねたことがある。
どういう経緯でそこまでたどり着いたかを
知りたかったのだ。

「4年生の時にテスト受けたら、できが良くて
そのまま普通にしてたら灘に行けた」
というようなことを言っていた。
親の手を煩わせなかったとのこと。

一方で、彼の兄に対しては、親はかなり
手をかけたにも関わらず、中学受験においてそこまで
うまく行かなかったらしい。

これがパターンB。

 書き出しの時点ではこの2つしか想定して
いなかったのだが、もう1つある。
兄弟すべてが問題なくいく場合。

これがパターンC。

 そう、前回書きそびれた
「うまく行かせている of うまく行っている」
について話をしているのだ。

進学塾に子供を通わせている親の中で、
「うまく行っている」と心底思えるのは、
かなり多く見積もっても3割もいないのでは
ないだろうか。

さらに、その中で親がそのように導けているのは、
それまた3割もいない気がする。
3割のうちの3割となると、0.3×0.3=0.09、
「うまく行っている」子供の親の中で、
親の力で「うまく行かせている」のは、
全体の9%、つまり計算上10%未満になる。

パターンAであれば、2人目の子供の成績を
知れば、「〇〇さんのところでもうまく
行かないこともあるのか」となる。

パターンBだとどうか。傍で見ていると、
「上の子のときの経験を活かして、
2番目の子では・・・」となるかもしれないが、
私の友人のように、そういうこととはほとんど
無縁の場合も少なくない。

パターンCに至っては、
「あのお母さんはほんとすごい」となるが、
それも実際のところは分からない。

 私はこの文章を通して何を伝えたいのか。
1つは、進学塾でうまく行かなくても必要以上に
気にすることはないということであろう。

自分でテーマ設定をしておきながら
「ということであろう」とはおかしな話であるが、
「塾でうまくやって行くのって難しいよなぁ」と
つくづく感じて、じゃあ、それについて書くか、
というところから始まったので、そういう状態に
なっている。

ちなみに、パターンAのお母様は「上の子が普通で、
下の子がそうでない」となりがちなので、私は
「上の子が珍しくて、下の子が普通です」と話す。

香川真司も一時所属したマンチェスター・ユナイテッドや
イングランド代表でも活躍したガリー・ネヴィルは引退後、
解説者になり、監督の采配に対して舌鋒鋭い批判を展開し、
人気を得ていた。
昨年末、スペインリーグで低迷していたチームを立て直すべく
監督に就任し、当然のことながら注目を集めた。
しばらく勝つことができず、今のところ大した結果を
残せていない。外から眺めているのと、内に入って
行動することとは別である、ということの一例である。

私は先生として子供達と接しているので、外で眺めている
わけではない。歯車が狂った生徒をそれなりに
うまくかみ合うように持っていける自信はある。しかし、
自分の子供がそのような状態になった時、親としてそれを
やれるかということに関しての自信は正直言ってない。

「1つは」と書いたので、せめて後1つ書かないわけには
いかない。それに、このままだと親ができることはない、
となりかねない。もちろん、そうではない。たくさんある。
ただし、それは直接的なことではない。

先週、小6の生徒に1年間小学生新聞を読みなさい、と
話した。親御様から社会ができないのでどうしたらいいのか、
と聞かれていて、かつ国語の読解問題を解かせても、
基本的なことを知らないので、テーマが抽象的なものや、
身近なものでなくなったときに、本文が理解できないのだ。

本人には「半年間はほとんど理解できないと思うけど、
そこを頑張って読み切ればきっと分かるようになる」
と伝えている。それは慰めではなく、心からそのように
思っての声かけである。

私は、我が子に強制的にいろいろなことをさせる気は
ないが、子供新聞はどこかのタイミングで読むことを
義務付けるであろう。そして、3年生になった頃から
始める、というのが現段階での計画である。
そのために今は本を読む習慣を身につけることや世の中の
ことに興味を持てるようにすることを意識している。

優秀な子供というのは、教科書に載っていないことで
大人になってから役立ちそうなものをよりたくさん
持っている子供と言い換えられる。

その子なりのそういう何かを見つけることの手助けを
親がしてあげられたら、その子はその子なりの
輝きを放つ。

子供がそうなるように、親がより良い手助けができるように、
手助けをすることが我々の大きな役割の1つである。

2016年02月09日 18:09:49

Vol.239 「うまく行かせている of うまく行っている」改め

 まずはとてもかっこいい話から。

先日、上のお子様2人を短期間だけ(半年未満)
通わせていただいた親御様が3番目のお子様を
連れて体験に来られた。期間が短かったことに加え、
最後にお会いしたのが5年以上も前のことなので、
失礼ながら私はお母様のお顔を含め、
そのこと自体を完全に忘れてしまっていた。

2人とも中学受験はうまく行ったものの、
国語で大変苦労したため、3番目は
そうならないように、というのがその理由。

大手塾は「受験は算数で決まる」、挙句の果てには
「算数と(国語ではなく)理科」みたいなことを
言うが、飛び抜けて算数ができる子供でなければ
その言葉を鵜呑みにするのは非常に危険である。
「飛び抜けて」というのは、少なくとも全受験生の
3%未満である。実際は、1%にも満たないであろう。

また、国語より理科を重視するのは意味不明である。
「意味不明」という言葉は、日頃使わないが、
この場合にはぴったりである。
灘でも甲陽でも、それぞれの教科の配点は
算数;200点、国語;200点、理科;100点
となっているのだから。

最近知って驚いたのだが、理系の最高峰と言われる
東大の理Vでも(理系はT類からV類まですべて同じ配点)
二次試験における国語の配点はそれなりに高い。
数学;120点、理科;120点、国語;80点、英語;120点
である。これを見ると、「国語より理科の方が大事」と言える。
ただ、理科は2教科の合計である。
化学と生物、化学と物理など。1つの教科として分けた場合、
「国語(配点;80点)より生物(配点;60点)の方が大事」
とはならない。

また、東大レベルの2次試験の英語は国語力なしでは
解けない。センター試験の英語は、極端な話、
まったく国語ができなくても満点、もしくはそれに近い点数を
取ることは可能である。
実際、私も200点満点中195点前後であった。
周りも大体こんな感じであった。

ただ、京大の2次試験の英語ではとても苦戦した。
単語は大学受験に一般的に必要と言われている数より
1000語は多く覚えたし、構文もかなり完璧に頭に
入っていた。それでも苦労した。

東大の試験の話に戻す。
理系科目、文系科目という分類はあまり好きではない
(数字に関する科目、言葉に関する科目、とする方が
しっくりくる)が、そのように分けると東大の2次試験は、
理系科目;240点、文系科目;200点となる。

名前は忘れたが、アメリカの医学部の中でもトップに
位置する大学が、カリキュラムに美術館での芸術鑑賞を
取り入れるようになった、ということが記事の中で
書かれていた。
医学の分野に限らず、「人間がやらなくてもいいこと」と
「人間だからこそできること」は今以上に意識されるようになる。
そうなったとき、数値化できないものの重要性が増す。
当然、それは言葉との結びつきが強い。

断っておくが、私はどちらが大事かを言いたいのではない。
ただ、国語が、言葉が、軽視されているので、「あいつも
結構いい活躍するんやで」とかばいたくなっただけである。

かっこいい話を待ちわびていた皆様、大変長らく
お待たせしました。通常、体験授業の際には、
私の方から親御様に、それぞれの教材の具体的な
進め方などを説明させていただく。
ただ、その方には一度行っていたため、
「教材の説明をいたしましょうか」と尋ねたところ、
「以前と何か変わったことはありますか」と聞かれた。
しばし考え、
「まあ、質が上がったぐらいでしょうか」
と返した。ね、かっこいいでしょ?

 勢いに乗って、もう1つかっちょいいのをお届けする。
電話でお問い合わせを受けたのだが、
残念ながら募集を停止していた新5年生の親御様からの
ものであったため、そのことをお伝えした。
喉からどころか、腹の底から手が出るほど1人でも
多くの生徒に来て欲しい、というのが本音なのだが。

もし、空きが出たら電話を欲しい、とお願いされた。
それに対して、
「うちの生徒は中々やめないので、いつになるかは
分かりませんので期待はしないでください。もし、
そのようになれば一度お電話をさせていただきます」
と話し、腹の底から出ていたままの手を使って、
未練がましく電話を切った。
「うちの生徒は中々やめないので」ってかっこいいでしょ?

そして、3日後。

「あのぉ、先日お電話をいただきました志高塾の
松蔭ですが、思いの他早く空きが出まして・・・・」
ね、おもしろいでしょ?
もう大阪人の血が騒いじゃうんだろうな。

決めゼリフを吐いた数日後にやめる生徒が
出てくるなんて。ただ、そのやめることになった子供の
ご両親とも時間を取ってその子の先のことを話し合った。
その結果の決断である。後悔しない道を選ばれたのだと思う。

 元々は「うまく行かせている of うまく行っている」という
タイトルだった。しかし、文章を書いているうちにその話題に
行き着かなかったので
「『うまく行かせている of うまく行っている』に
たどり着かない話」にしたが、野暮ったいので
現行のものになった。他の多くのものと同様、
後からタイトルだけを見ても、
何を書いたのか思い出せないこと間違いなし。
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