過去問を解いた時、漢字のできがあまりにも
良くなかったので「ちゃんと勉強してんのか?」
と問うた。もちろん怒りながらである。
すると、「毎日してる。ゲームで」と返ってきた。
例年、1人か2人ぐらいは志高塾以外の
受験専門塾に通わずに受験に臨む生徒がいる。
上の生徒もそのうちの1人であった。
ちなみに、それには大まかに2つのパターンがある。
1つは、元々受験をする予定がなく、残り1年を
切ったぐらいで急に本人の気持ちが変わって、
「今から、他のところに行くのもなんなんで」という場合。
もう1つは、大手塾に早い段階から通っていたものの
成績が下がる一方で、そちらをきっぱりやめる場合。
その生徒には、漢字のテキストも渡し、教室でテストも
していた。ある一定以上のところまで終えたので、
後は復習を繰り返すだけ、ということになっていた。
要は、それをさぼっていたのだ。
もう1つ注意したことがある。
直前になって親御様が別の漢字テキストを
買い与えて、それに手を付けていたからだ。
「短期間で完成」という類のものであった。
要は、「これはやれば要領よく点が取れますよ」
というものだ。
「渡しているものの方が分量も多いからそっちを
しっかりとやりなさい。複数のものを使うと
重なりがあり無駄が出る。」ということを伝えた。
以前にも一度書いた記憶があるのだが、
私はゲームで漢字や英単語を覚えることに反対だ。
英単語に関しては、正確な発音が分かる、という
メリットがあるが、ここではそれを考慮しない。
ゲームでやれば、自分で本を開けて、
紙に書くことに比べれば、数段楽しく
勉強ができる。それの何がいけないのか?
子供たちがその後暗記しないといけないもの
すべてがゲームになっているのではない、
というのが唯一にして絶対的な理由である。
ゲームに慣れると、地道な勉強との落差が
より大きくなってしまう。
ここで「ゲーム感覚」の出番だ。
今年になってマラソンを始めた私は、そのことを
あちらこちらで嬉しそうに話している。
長距離が苦手であった私は、それを始めた自分に
驚いている。
ひとりでは、途中で止めたくなりそうだったので、
1年生の長男を巻き込んだ。そして、私も子供も
できるだけたくさん走って、かつ楽しめるように
するにはどうすればいいのかを考えた。
私は、千里中央の近くに住んでいる。そこで、
地下鉄御堂筋線に沿って走ることにした。
子供にそのことを伝え、
「今日は、江坂(3つ目の駅)ぐらいまでかな」
と走る前に話していた。
ルールは単純。子供が疲れたところで終わりにする。
ただし、それは駅と駅の途中ではなく、必ず駅を
ゴールにする。
実際、1つの目標としていた江坂が見えたとき、
子供はどうしようかと逡巡していた。
「どうする?ここで止める?」と聞くと、
少し経ってから、「いや、まだやる!」
と返ってきた。結局、次の東三国駅まで、
約10kmの道を一度も止まらずに走破した。
これにはまだ続きがある。次に走るときは、
電車で東三国まで行き、今度はそこから
続きをするのだ。終点のなかもずまでは、
千里中央から40km超ある。ひと月に1度程度
それをするので、春ぐらいにはゴールできそうである。
まだ1回しか走ってないにも関わらず、
子供は「これが終わったら(なかもずまで行ったら)
今度はどこを走るの?」と聞いてきた。
私は、子供とのマラソンにゲーム感覚を持ち込んだ。
別にそのことを細かく話したわけではないので、
息子がそれを理解しているわけではない。
でも、こういうことを繰り返しているうちに、
同じことをするにしても少し工夫するだけで
楽しくなる、というのを何となく感じてくれることを
期待している。
実は、私も子供同様「次はどこにしようか」と
考えていた。でも、まずはなかもずまでの
道中を2人で存分に楽しもうと思っている。