2015年11月24日 11:58:56

Vol.229 続;それがそんなに

 事務的な連絡から。

ありがたいことに5年生に続き、4年生も
定員の15人に達したため受け入れを
一時停止します。

5年生は、中学受験が終わった時点で
再開させていただきます。
4年生は、欠員がそれなりに出た場合、
それ以前に再開するかもしれませんが、
1人、2人ぐらいであれば
中学受験まではこのままのメンバーで
行きたいと考えています。

 問い合わせをしてくださる方が、
事前にこの文章をチェックして
「あっ、募集してないのか」となる
可能性はほぼないので、上の報告は
自分の決意をぐらつかせないための
ものである。

 ここから本文。以下は、先週1000字以上
書いて没にした原稿を手直ししたもの。
通常そのままお蔵入りになるのだが、
今朝の時点で題材が何も浮かばないので復活。

 私は中学受験に失敗し、公立の中学校に
通った。それゆえ、私の場合は、
”良い”不合格か”悪い”不合格のどちらかで
しかない。

受ける学校のレベルを下げれば合格
できたわけだが、それは間違いなく
”悪い”合格であった。
それは、今振り返って、ということではなく、
その時点でそのように感じていた。

自身の中学受験に関しては度々親御様に
お話するので、「それ知ってる」となるかも
しれないが、改めて文章にするので、
断片的なものではなくある程度
まとまるようにしてみようと思う。

 大阪星光に8点差で落ちた。
算数、国語は120点満点でそれぞれ
106点と58点であった。
理科、社会は、80点満点でともに
45点前後であった。

結果に関しては紙でもらったが、
それを取っておいたわけではないのに
今でも覚えているのは、合格する確率が
おそらく20%もなかったに関わらず、
つまり予想通りの結果であったにも関わらず、
6年生の私にとってはそれなりに
ショッキングな出来事であったからであろう。

算数に関しては、終わった瞬間
「満点や」となった。結果的に
14点引かれたので、大問の(1)で計算
間違えして、それ以後の(2), (3)も
連鎖して落とした結果なのだろう。

国語に関しては、何が起こったのかが
よく分からなかった。練習では
7割か8割ぐらいは取れていて、
本番の感触もいつも通りだったのだ。
理由として考えられるのは、
授業で過去問を解き、生徒同士で
答案用紙を交換して丸付けをしていた
ものの、採点基準が甘かったのだろう。

理科、社会に関しては最低限の勉強を
やっていただけだったので、そんなものだ
という印象しかない。だから、具体的な
点数も頭には残っていない。
ちゃんとしていれば7割ぐらいは取れたはずだ。

ちなみに、附属池田も不合格になったのだが、
これに関してはその事実すら記憶から
抜け落ちることがある。

それは1次の算数と国語のテストはパスして、
2次の理科、社会と図工、音楽、体育で
落とされたからだ。最近は、副教科は
どれか1つ選べばいいことになっている
みたいなのだが、私の時はそうではなかった。

理科と社会すらできなかったのに、
そこに、それまでまったく勉強していなかった
図工と音楽のペーパー試験が加われば、
「そりゃできへんわな」という感じだった。
1次試験で落ちていたら、心に少々の
傷を負ったかもしれないが。

 中学受験をする1つの理由として
よく耳にするのは
「あの子は、公立の中学だとしんどい」
というような内容だ。

その理由は大きく分けて2つであろう。
1つは、提出物の期限を守るなどのことが
苦手だから。
もう1つは、先生に評価をしてもらえそうに
ないから。

高校受験までの3年間では無理だが、
6年一貫という長期スパンで見れば、
そのような欠点がなくなっていくという
考えがその裏にはある。

でも、本当にそうなのだろうか。
私の知る限り、それは変わることなく
そのまま放って置かれる。先延ばしに
されたものは、もっと大きな問題になって突如、
目の前に現れる。

上の2つのものとは少し異なるが、
中学受験の頃は算数ができればいいとしか
考えていなかったが、公立の高校を受けるには
内申点が関係するのでそうはいかない。
それゆえ、中学1年生の初めの
定期テストから卒業するまで理科と社会、
どちらの教科もほぼ95点前後を取り続けた。
もし、そのまま合格していれば、
そのように考えや行動が
変わることもなかったであろう。

 直前になって志望校を下げることが十把一絡げに
悪いことだとは言わない。ただ、それによって
「落としグセ」がつかないかどうかにはよくよく
気を配ったほうが良い。中学受験において、
それは間違いなく親の役目である。

人は基本的に弱い。何かと言い訳をつけて
楽な道を選びたくなる。周りの誰かが、どのように
評価するかは関係ない。自分自身で「少なくとも
それなりには戦った」と嘘偽りなく思えるかどうかが
大事なのだ。

「落としグセ」はつかなかったが、「落ちグセ」は
見事についた。中学受験でもそう、大学受験でも
一浪した。就職活動でも粉砕した。
志高塾を始めてからもうまくいかないことは
たくさんある。

生徒の人数は1つのバロメーターでしかないが、
それが自分の感覚以上に「落ちる」ことはある。
でも、一時的に生徒の人数を増やすために、
質を「落とす」方法は選んでこなかった。
冒頭の連絡も質を落とさないための一環である。

40歳がだいぶ近づいて来た今になって、
人間的に少しは成長してきたかな、という
実感がある。

かなり曲がりくねった道を進んできて、
これからも少しぐらいはましになるだろうが、
真っ直ぐな道にはならないだろう。
でも、曲がりっぱなしにならなかった
1つの理由として、中学受験における
”良い”不合格があることに疑いの余地はない。

意外とうまくまとまった。

2015年11月17日 18:11:15

Vol.228 将来有望

 最近、長男が大人から褒められる、
という場面が2度あった。
将来有望ですね、と。
親として悪い気はしない。

生花や釣り船に乗っている時のことである。
その2つに共通しているのは、周りに
大人しかいなかったということである。
いずれも1年生の子供がやらないことでは
ないが、決して多くはないので大人の中に
子供1人という状況になりやすい。

「将来有望」の後ろには「こんな早い時期から
やっていれば、大人になった時が楽しみですね」
というのが隠れている。それであれば、
早くからやりさえすれば誰でもそのような
評価が得られるということになってしまう。

親の欲目なのだろうが、生花は考えながら
取り組みそれなりに上手にできているし、
釣りはえさも自分で付け、小さい体で船に
揺られながら頑張り、それなりに釣れていた。

「将来有望」と言われるからには、
現時点で圧倒的な結果を出している必要がある。
たとえば、釣りで言えば、同じぐらいの子供が
5匹ぐらいしか釣れないところを10匹釣るとか。

しかし、話はそんなに単純ではない。
子供の頃に輝いていたのに、その後全然伸びない
ということが起こる。むしろ、ほとんどが
そのパターンだろう。

子供の頃といわず、大人になってからでも
そのようなことは起こる。
プロ野球を例にして考えると分かりやすい。

複数球団に指名され、ドラフト1位で
入団したにも関わらず、1軍で
活躍できないまま引退して行く選手も
少なくはない。怪我をしてしまい、
そのようになってしまうこともあるが、
単純に伸び悩むということも多い。

それは「心」と関係している。
注目されたことで調子に乗ってしまい
そのようになる。もしくは、一生懸命
努力したものの、1年目はまだいいが、
2年、3年と経つうちに結果を出せないことで
焦りが生まれ、思うように力が発揮できないと
いうこともある。

一方で、下位で指名され、どうにか
その世界に入り、その後思いもよらないような
一流選手になることがある。
それは、まっすぐ前だけを見て進み続けた
結果であろう。

 今朝読んだあるサッカー選手の特集記事では、
体幹が優れていることが、特長だと書かれていた。
テクニックも超一流なのだが、評価のポイントは
そこではなかった。

心技体。最終的には、それら3つが
バランスしている必要があるのだが、「技」などは
後回しでもいい。後回しにするぐらいの心持ちで
ちょうといいということだ。

世の中、子供に「技」を教えることに
重きを置きすぎているきらいがある。
「心」と「体」が伴っていない「技」はそのうちに
輝きを失う。

我が子のことに話を戻す。以前、生徒の親御様で
生花の先生をされている方に、子供の生けた写真を
見ていただいた時、
「力強いのが良い。小さくまとまってしまう
子供が多く、中々このようにはできないものです」
と褒めていただいた。「技」ではなく、
思ったように生けている「心」を評価して
いただいたのが嬉しかった。

 「枝」も「技」も共に「支」が含まれている。
枝が幹に支えられるように、技も心と体、さらには
頭に支えられてこそなのだ。

2015年11月10日 13:56:21

Vol.227 それがそんなに

 それがそんなに良いことなのだろうか?
それがそんなに悪いことなのだろうか?

進学塾のテストで良い点を取る。
すると、親は安心する。
進学塾のテストで悪い点を取る。
すると、親は不安になる。

第一志望の学校に合格する。
すると、親は喜ぶ。
第一志望の学校に不合格になる。
すると、親は悲しむ。

悪い点よりは良い点の方がいい。
不合格よりは合格の方がいい。
そりゃそうだ。
でも、当たり前のことこそ疑ったほうがいい。

”良い(内容の)”悪い点もあれば、
”悪い”良い点もある。
同様に、
”良い”不合格もあれば、”悪い”合格もある。

 先週の月曜から親御様と面談をしている。
その中で、4年生の親御様とお話した時に、
国語の成績に話題が及んだ。
決して良い点数を取っているわけではないので、
親としては気にかかる。

面談後初めての授業の時に、お手紙をくださった。
抜き出し問題で点数を落としていたが、
答案用紙を見たり、本人に確認したりしたところ、
注目する箇所は分かっていて、微妙に(抜き出し箇所が)
ずれていただけでそのような結果になっていたことが分かり、
少し安心しました、とそこには書かれていた。
それは、”良い”悪い点を取っていることが
判明したということだ。

親御様が心配していることに対して
私が「大丈夫ですよ」ということがある。
すると、大体は「本当に大丈夫ですか?」
と返ってくる。

私が何を根拠にそのように答えるのかと言うと、
作文を含めた授業を通して、その子が
どれぐらい深く考えられるか、
どれぐらい粘り強く考えられるか、
どれぐらい理解した時に喜びを感じられるか、
を見ているからである。

一方、仮に低学年であっても成長を
阻害するかも知れない、考え方、取り組み方に
関しては「早く手を打ったほうがいいです」
と伝える。「まだ低学年なので、しばらく
放っておいて様子を見ましょう」とはならない。

 何も受験の話をしたいわけではないが、
私は”良い”合格にしかこだわらない。
そのためには、どこかのタイミングで
”良い”良い点を取れるようにしなければならない。
でも、その前段階として”良い”悪い点を取れるように
してあげなければならない。

”悪い”良い点と”良い”良い点とは直接つながっていない。
一度”良い”悪い点を経由しなければならない。
つまり、
”悪い”良い点→”良い”悪い点→”良い”良い点
の手順を踏むということである。

しかし、”悪い”良い点から”良い”悪い点に移行するには
勇気がいる。親も子供も。点数が下がるのだから。
そもそも、親が点数にこだわりすぎるせいで
子供がそのようになった、という背景がそこにはある。
それゆえ、一度”悪い”良い点を味わってしまうと、
そこから抜け出すには困難を極める。

 世の中で良いと信じられていること。
「それがそんなに良いことなのだろうか?」
と疑ってみる。

世の中で悪いと決めつけられていること。
「それがそんなに悪いことなのだろうか?」
と疑ってみる。

多くの場合、良い悪い、の評価は変わらない
かもしれない。でも、その「疑ってみる」という
プロセスがその裏側にあるもっと重要なことを
教えてくれるはずである。

子供達を評価する際の私の基準が、
”良い””悪い”から、良い悪いに変わった時、
志高塾の価値はまったくなくなってしまう。

それだけ私はそこにこだわってきたし、
それはこれからも間違いなく変わらない。