2015年07月28日 17:23:00

Vol.213 渡りに舟

 私は過去
「Vol.146 就職≠属会」の中で、
「就職というのは、『職に就く』ことであって、
『会社に属する』こととイコールではない」
と述べた。

それと似たようなことが、しかもより分かりやすく、
私が愛読している安田佳生の7月15日発行の
メルマガにあったので、そのまま掲載する。

以下が、その文章である。

いつの頃からか、
「働く=雇われる」という図式が
出来上がってしまった。
社会に出たら働くことは常識であるが、
就職することは常識ではない。
数ある働き方の中のひとつの選択肢に
過ぎない就職が、たったひとつの答えで
あるかのように信じ込まされている。
しかもかなり偏った形で。

リクナビ、マイナビという新卒求人サイトに
掲載されている社数は、両媒体を合わせても
2〜3万社に過ぎない。日本には300万社を
越える会社があるが、掲載されているのは
その百分の一にも満たないのだ。にもかかわらず、
多くの学生はその中のどこかに就職することが
唯一の選択肢であると信じている。

ではそれ以外の99%の会社に入社することは
不可能なのか。
いや、もちろん、そんなはずはない。
それはリクナビ・マイナビに掲載していない
会社であって、採用を拒絶している会社では
ないからだ。優秀な学生が入社したいと
門を叩けば採用してくれる会社は
いくらでもあるだろう。

ナビに掲載されていない会社に就職することが
可能であるように、就職せずに働くことも
また可能である。社会には実に様々な職業があり、
選択肢は無限と言って良いほどある。
自分で会社を立ち上げるもよし、
小説家になるのもよし、占い師になるのもよし、
なのである。

ちなみに落語家という社会には応募という活動が
存在しないらしい。だから当然、どこにも
求人広告は出ていない。その上、世襲で落語家に
なる人もほとんどいない。ではどうしているのか。
なりたい人が勝手に師匠のところに尋ねて
来るのである。「弟子にしてください」
「ああ、いいよ」これだけ。
面接も筆記試験もなく、師匠が気に入れば
それでOKなのである。

「そんな人はごく少数だ」「そんな考え方は
非常識だ」と罵られそうであるが、
よくよく考えてもらいたい。1%にも満たない
掲載企業の中から就職先を選び出し、
無理矢理志望動機をひねり出すことと、
世の中を広く見渡して自分がやりたいことを
見つけていく活動。一体どちらが非常識なのか。

確かに雇われるのは楽である。
言われた時間に、言われた場所に行き、
言われた通りの活動をする。
これだけで次の月から確実に給料が
振り込まれるのだ。だが短期的には楽であるが、
長期的に考えればこれほど不自由な生き方はない。

もちろん、そういう生き方を選ぶことも
本人の自由である。だが卒業した学生の大半が
そのような生き方を選ぶというのは、
ちょっと異常ではないだろうか。
「正社員になれ」「正規雇用を増やせ」
「正社員以外は負け組」という非常に
偏った常識が、この国の若者を苦しめているのだ。

自分の得意なことで人の役に立ち、お礼として
金銭を受け取る。仕事とは突き詰めれば
それだけのことだ。どこで働いてもいいし、
何をやってもいい。
働く方法など無限に存在するのである。
もっと多くの若者が、雇われない生き方を真剣に
模索する社会。その方がずっとまともであると
思えてならない。

もしかしたら、私がおかしいのでしょうか。
みんな正社員になりたいに決まっている。
雇われない生き方など望んでいない。
それが正常で、私が異常なのでしょうか。

確かに私はちょっと変わっています。
受験から逃げてアメリカに行ったり、
会社員を辞めて起業したり、
境目研究家になってみたり。
でも異常だとは思っていません。
むしろ自分以外の人間が異常なのだと、
私はずっとそう思って生きてきました。

勉強が好きでもないのに、
とにかく受験勉強に精を出す。
出来るだけ偏差値の高い学校に進学する。
卒業が近づいたら就職活動をし、
少しでも有名な会社に潜り込む。
無難に仕事をこなし、
定年までの安定を手に入れる。

これを正常な人生というのなら、
確かに私は異常なのかもしれません。
でもそれは多数決で決めることでは
ないはずです。全体の90%が賛成しても、
間違った判断をすることはある。
それは歴史が証明しています。

何が正しくて、何が正しくないのか。
そこに答えなど無いのかもしれません。
だから私は自分が絶対に正しいとは
思っていません。ただ間違いなく、
自分の頭で考えて、自分の好き嫌いも考慮して、
自分の生き方を決めている。
私には、それが一番重要なのです。

なぜ皆そんなに雇われたがるのでしょうか。
なぜそんなにも、正社員に固執するのでしょうか。
安心だから。安定しているから。
でもそんなこと、誰が保証してくれるのでしょう。
10年後20年後のことなど、
誰にも分かるはずがないのです。

大きな会社に入る。正社員になる。
それは確かに短期的には安定した
人生になるでしょう。でも人生は長い。
思っているよりもずっと。
会社に人生を委ねるとは、
他人に人生を委ねるという事です。
これほど不安定な生き方があるでしょうか。

自分が本当にやりたいことを探す。
努力して手に職をつける。
誰かの役に立つ仕事をする。
それが安定の基板ではないでしょうか。

それは非現実的。戯言。現実逃避である。
そういう声が聞こえてきそうです。
でも私に言わせれば、安易な就職のほうが
よほど現実逃避だと思えてなりません。

とにかく大きな会社に入っておけば安心。
とにかく正社員になっておけば安心。
なぜ頭のいい人たちが、
そんな非論理的な答えに辿り着いてしまうのか。
それが本当に不思議でならないのです。(完)

 より大きなことをしたい、
より高いレベルのことがしたい。
もちろん、大きさも、高さも大事である。

でも、その前に広さについて考えてみるべきでは
ないだろうか。自分自身の視野が狭かったから
余計にそう思う。

夏期講習で忙しいからといって、このような形式に
なったのではないことだけは断っておく。

次回はどこからお借りしようかしら。あっ!?

2015年07月21日 08:35:36

Vol.212 直接〜法

 物騒な世の中。

我が子が小学生になるまで
黄色の旗を目にしたことがあっても、
「子ども110番の家」というのが
何なのかを知らなかった。

過日、1年生の息子は下校時に、
迫り来る危険を察知し、周りを見渡し、
それを掲げている家のインターフォンを押し、
玄関に駆け込んだ。

それでも安心できず、さらに奥へと
かくまってもらい、ようやく人心地が付いた。
すんでのところで難を逃れたのだ。
正に危機一髪のところであったらしい。

 息子は、急に大きい方の便意を催し、
トイレを貸していただいたのだ。

通常考えられる選択肢は、
・家まで我慢する
・漏らす
・公園などの公共のトイレを探す
・そこらへんでする
などであろう。

よくそれを思いついたな、と感心した。
こういうのを機転が利くというのだろう。
そして、もう1つ。それを告げる勇気が
あったことも見逃してはならない。

この一事から、我が子の2つの特長が
浮かび上がってくる。それをどのように
伸ばして行ってあげるかを考えるのが
親の役目である。

 そして、もう1つ嬉しいことがあった。
その長男が「どんどんぞうしょくするぅ」と
「ぞうしょく」という言葉を使っているのを
聞いた時である。
私が子供に向けて使った覚えはないので、
どこでその言葉を仕入れたのだろうか。

過去にもこのようなことについて書いたことが
ある気がするのだが、言葉をあまり知らない
子供にとっては「ふえる」も「ぞうしょくする」も
大差はない。大人が勝手に前者の方が容易であると
思い込んでいるに過ぎない。

このような反論があるかもしれない。
「『ふえる』の方が短いから覚えやすいのだ」と。
では、「けう」と「めずらしい」ではどうか。

しかし、それらの比較は意味をなさない。
どう考えても「てぃらのさうるす」より
「ぞうしょく」は簡単なはずなのだ。
たくさん耳に、もしくは目にすれば、言葉は
子供の中に染み込んでいく。
一番身近な存在である親が、意図的にいろいろな
言葉を使ってあげると、子供の語彙は格段に
増していく。

 人の話を聞くとき、頭ごなしに否定する
のではなく、一度受けて止めてから、
自分の意見を行った方が相手は受け入れやすい、
と言われている。それが、「Yes. But 〜」だ。

それに対して、いつの間にか私が身に付けていたのが
「直接〜法」だ。

一例を示してみる。
たとえば、子供が
「バッタを2こつかまえたよ」
と報告してきたとする。

「そうなの。でも、バッタだから
2ひきって言うんだよ」
というのが前者。

それに対して私の場合は、
「2匹もつかまえたの。すごいやん」などとなる。
ちなみに、これに対して子供はさもそれが
当然であるかのように「そうだよ、2匹だよ」
と返してくる。次男とはそのようなやり取りを
よくするので、この方法が効果的であるのは
実証されている。

 ここまで我が子の話を嬉しそうにしてきた。
もし、塾で良い成績を取った、ということであれば
このように報告はできない。単なる自慢になるからだ。
でも、このような話だと羨ましがられることもなく
「ふーん」程度で受け止められる。

我々は月間報告で、それぞれの生徒の様子を
親御様にお伝えしている。その中で、ここまで
述べてきたようなことをできる限り拾い上げて
盛り込められればと考えている。

そのわずかな輝きを見逃さなければ、
そのうちのいくつかはいつか大きな光に
化けるかもしれない。いや、きっと化ける。

そして、その役割を果たすのが、我々よりも
親である方が、断然子供の成長には効果がある。
私の親バカが蔓延することが望んでいる。

2015年07月14日 00:38:52

Vol.211 変わる学び方

 浪人時代にある女の子から
勉強のことで相談を受けた。
勉強ができる人のやり方をいろいろと
真似てみるが、中々うまく行かないので
どうすればいいのか、というのがそれ。

私はこう返した。

みんなで絵を描いているとするやろ。
右の人を見ると、海を上手に描いているので、
それをそっくりそのまま真似ようと、
自分のカンヴァスも見ずに、それを
丸写しにする(黒板を見ながら、手元の
ノートを見ずに手だけ動かして写す感じ)。
で、今度は左の人の方を振り返ると、
そこに上手な山の絵がある。そして、
また同じことをする。
その段になって自分のカンヴァスを見て
みると、海の上に山の絵が重なって
えらいことになってる。仮に、
海と山の絵がどれだけうまくても
そうなってまう。

まず大事なんは自分が何を描きたいかって
ことや。それがあって、次は彼らと
自分はどこが違うのかを考えなアカン。
絵そのものではなく、エッセンスを盗むんや。

20年ぐらい前の話なのにかなり鮮明に
覚えている。話しながら、何て素晴らしい
例えなんだろうと感じていたからにほかならない。
自画自賛ここに極まれりだが、悲しいことに
後にも先にもこれ以上うまく例えられた
記憶はない。

 奇しくも先週は2組の御夫婦と面談を行った。
そのように2人で来られること自体はそれなりに
あるのだが、半年に1回の面談期間ではない時に、
そのようになるのは珍しい。

子供は4年生の男の子で、最近2人は同じ
大手塾に入った。「奇しくも」と書いたが、
これらのこと以外にも共通点がある。どちらも
元々はお母様とだけのはずだったのが、共に
お母様の方から、お父様も入れて、という
提案があった。2人で話してもうまく
かみ合わないので、私を加えて3人の方が
すっきりするだろう、というのがその理由。

かみ合わないのは、「のびのび派」と
「全力投球派」という違いがあるから。
1組はお父様が「のびのび派」で、
もう1組はお母様がそうであった。

人生も受験も例えるなら短距離走ではなく
マラソンになる。スタートとともに
全速力で走れば当然最後まで持たないし、
ずっと自分のペースで走り続ければいいと
いうものでもない。

自分のペースを守りながら、どこで
スパートをかけるか見極めながら、
「ここ」というタイミングで
ギアチェンジをしなければならない。

怖いのは、その時にそもそもギアが
切り替わらなかったり、そこは問題
なかったとしてもガソリン切れに
なっていたりすることである。

「御夫婦で、どちらのタイプ(のびのび、
全力)を選びますか?」ということではなく、
その2つをどのようにミックスすれば、
愛すべき子供の未来が明るくなるか、
という話なのだ。当然のことながら、
そこに夫婦間のずれはない。

それぞれの御夫婦にはまったく異なった
打ち手を示し、ある程度受け入れて
いただき当面の方針は立った。これからは
微調整しながら進めていく運びになる。

人にはいろいろな能力が備わっている。
私の場合、子供が抱えている課題を掴み、
それをどのようにクリアして行くか、
という方法を考えることにおいては
それなりのものを持ち得ていると
考えている。

それを実践して結果を出すところまでが
私の役割なのだが、その点に関しては
十分ではない。残念ながらそれは妥当な
評価である。

それは何も、言って終わりにしている
ということではない。スマートに、そして
スムースに結実させられればいいのだが、
途中うまく行かないと、最後は「約束した
からにはやる」という力技でどうにか解決に
持っていく、というのがよくある
パターンなのだ。

 塾の先生が、何百人、もしくは何千人の
生徒を合格に導いた、ということを売りに
していることがある。それに文句を
付ける気はないのだが、私の場合、
その十分の一か百分の一かもしれないが、
子供達と直に触れ合い、親御様の生の声を
聞いてきたという自負がある。

開校当初、私にはまだ子供がいなかった。
だから、将来の子育てに役立つ有用な情報を
得たい、という気持ちは皆無であった。
しかし、結果的には親御様から様々なことを
教わってきたおかげで、現在落ち着いてかつ
楽しみながら子育てができている。

それは、正に「何(どんな習い事)を
どのタイミングでさせたら子供は
伸びるのか」という具体的なことではなく、
それぞれの親御様から子供を大きく育てるために
必要なエッセンスを吸収してきたからにほかならない。

2組の御夫婦にそれなりに納得していただけたのは、
私が知っている成功例の中から、当てはまりそうなものを
探し出してそのままの形で提供したからではなく、
その子供自身に合うように、私が与えられてきた
エッセンス配合したからだと思っている。

 若造であった私は、親御様からとにかく多くのことを
教わってきた。これからもそれは変わらない。
ただ、これまでは人生としても親としても先輩で
あったのが、少しずつ、同じ年代、そして、私より
下の年代の親御様に変わっていく。
それゆえ、私の学び方にも変化が現れてくるだろう。